代表ご挨拶

株式会社国際遠隔教育設計
代表 西澤康夫

はじめに

 私たちは、自国にいながら海外の授業を自由に受けることのできるシステムを構築することを目指す会社です。そのような授業を受けることが出来れば、語学教育に資するだけでなく、例えば、グローバル化時代を生きる知恵やヒントを学ぶことが出来、外国に行かなくても、一定の国際的感覚を磨くこともできます。将来は各国間を結ぶ、公的教育インフラに成長させていきたいと考えています。

 ただ、それは一足飛びに実現できる計画ではありません。今は、少しでも多くの方に事業の中身をしっかりとお伝えし、地道に実績を積み重ねる他はありません。

 私たちの事業は、世界中の教育機関をつなぐ国際的な教育インフラネットワークの構築を最終目標にしておりますが、先ずは、国際遠隔授業の概略イメージをご紹介させていただきます。

国際遠隔授業のイメージ

greeting003.jpg 国際間で行う授業と言っても、漠として捉えどころがない印象を持たれると思いますが、いったい何をテーマにした授業なのかについて、先ずお話をさせていただきます。

 試みに、次のように自問してみたいと思います。「これから国際遠隔授業が行われるとして、それにふさわしい授業のテーマは何か?」と。言い換えれば、国際遠隔教育が成果を出しやすい授業の中身は何か、という質問です。

 ポンとすぐに帰ってくる答えは多分、「国際間の理解を育むような授業」ではないでしょうか。具体的に言えば、自国とは異なる国や文化の紹介をするような授業がそれに該当するはずです。では、このような授業はどうすれば手に入るでしょうか。また、そのような授業の効果はどれほどのものなのでしょうか。また、どのような準備をすれば、それが可能になるのでしょうか。

 しかし、ここで次のような意地悪い質問が飛んできそうです。「そもそも、国際間の理解、あるいは異文化間の理解がなぜ必要なのか?」また、「百歩譲って、どうしてもそれが必要ならば、異文化理解教育の専門家に話をしてもらえば済む話ではないか。国際遠隔教育とやらでなければならない理由はないはずだ。」

 そこで、国際間で行うのにふさわしい授業テーマについて、もう少し掘り下げた思考実験をしてみましょう。私たちの周囲に、本当に国際遠隔授業を必要とするテーマが見つからないでしょうか。

《近代》という「からくり」 ~ 一つの思考実験

 誰でも自分の生活を振り返ったとき、改めて気づくのは、私たちの住む世界が大幅にグローバル化され、人も物も情報も、それこそグローバルに国境を越えて移動しているということ、そして、IT(情報技術)革命によって、パソコンやスマホを通じて世界の様々な情報へのアクセスが瞬時に可能になっているということです。ビジネスにも、レジャーにも、この上なく便利な時代に私たちは生きています。けれども、その反面、膨大な旧情報の上に、今すぐ必要な新情報がすさまじい勢いで蓄積されています。結果として、不要・不急の数々の新情報が、マスコミを通じてとめどもなく周りにあふれています。携帯やスマホやアイパッドが普及するにつれて、私たちは日々多くの情報に依存し、かつ振り回され、生活費を稼ぐためとはいえ、ほとんど分刻みに、メールチェック、情報検索、文書作成、電話応対、スケジュール調整、等々とめどもなく刹那的に時間にかかわり、朝早くから気ぜわしく、一瞬の無駄も許されないで、時間の断片を綱渡り的に生きています。世の中全体に余裕がなく、切迫した時代になっています。

 便利さの追求の只中で進む心の希薄化、断片化。それに、否応なく嵩むストレスが加わり、若者の心を蝕み、その精神を追い詰めています。心の荒廃指数に他ならない自殺率の高さが日本の若者において際立っているという話を聞くこともあります。まさに由々しき事態です。近代化の代償だから仕方がない、と言って済まされることではありません。

 しかし、だからと言って、グローバル化の流れを一気に押しとどめ、近代に逆行すればよいというわけではありません。また、それは簡単ではありません。でも、何かが必要なのではないでしょうか。事態をこのままほっておいてよいわけがないのです。

 では、私たちが、近代とその象徴としてのグローバル化に押しつぶされることなく、元気にしなやかに生きるには、どうすべきなのでしょうか。その知恵は、どこに求めたらよいのでしょうか。

グローバル化を乗り切る知恵 その1

greeting007.jpg 一つ考えられるのは、私たちの生活の流れ、その惰性を、一旦断ち切ることです。そこから逃れることです。一度のんびりと、広く海外を旅し、そこで出会う人や景色を、じっくりと自分の眼で見、また自分の肌で感じてみることです。見知らぬ異国の文化や風景に触れ、異なる言語や異なる習慣、また異なる価値観や世界観に浸されてみることです。

 すると、旅先で見るもの聞くものがいかに自国のそれと異なるかを、身を以て経験することで、自国の文化のユニークさや、自国語のかけがえのない有難さに、改めて気づきます。

 そこまでいけば、日常生活のルーティーンと化したグローバル化に踊らされ、惑わされることは、もはやなくなります。本当に安心して身を任せられるものが何かを見定め、ただただ生きることの尊さを、自力で会得できるからです。

グローバル化を乗り切る知恵 その2

 もう一つ、多分、それと同じくらい効果的かもしれない方法があります。それは、外国語で書かれた優れた小説や詩やドラマを原文で読み、主人公の世界に深く身を浸し、原詩のもつ豊かな情感のリズムに身を任せることです。文学は、歴史や文化の違いを乗り越えて、人種、年齢、性別、宗教にかかわらず、読む者の胸を打つことができます。文学を通して、人は異文化の中に入っていくことが出来ます。さらには、人間としての共通の基盤を体験することすらできます。人間の深みをそこまで体験すれば、人はグローバル化の荒波も、さざ波程度に軽くさばいていくことができます。場合によっては、心の安らぎが何処にあるかを、自分で会得できるからです。

 でも、問題がないわけではありません。それは、誰にでもこれが可能かと問われれば、そうではないと答えるよりほかないからです。世界中を、何の心配もなく、気の向くままに自由に旅して回るとなると、例えば社会をドロップアウトする覚悟と、最低でも数百万円の自己資金が必要です。外国文学を自在に読みこなすには、きびしい訓練と時間が必要です。とてもおいそれとできることではありません。

 考えてみれば、仕事やスポーツや芸術、ボランティア活動に生きがいを見出し、その中で世界中を駆け巡っている人も多くいます。しかし、グローバル化の波は必ずや一定以上のストレスとなって、人に襲い掛かります。生きがいは、あるに越したことはありません。しかし、必ずしも近代の荒波の防波堤にはなりえないのです。

 では、グローバル化時代の宿命の中で、大したお金も時間もかけずに、どんと構えて、図太く心の健康を保ち続ける方法はないでしょうか。あるいは、少しも気後れすることなく、他国の人たちと年来の知己のように打ち解け、親しくお付き合いができるコツはないでしょうか。

第三の知恵 国際遠隔教育

greeting008.jpg ここに、いま見た二つの方法のいずれでもない、第三の方法があるとしたらどうでしょう。何年もかけて世界を巡らなくても、また莫大な時間をかけて外国語をマスターしなくても、グローバル化時代を生き抜くヒントを見つけることは可能なのです。

 それが、以下にご紹介する教育システム、すなわち「国際遠隔教育」(英語で言えば、international distance learning) という手法です。そして、国際遠隔授業で取り上げる内容は、外国の風物、文化、言語、社会制度、習慣などに及びます。しかも、単なる説明ではなく、そこにじかに触れる感覚が伴う授業になる、という点が、国内の遠隔授業と根本的に異なる点です。外国のにおいをかぐ授業になると言っても過言ではないのです。そしてそれは、私たちがinternational distance learning (国際遠隔授業)と呼ぶ授業の手法もしくはスタイルと切り離せない特色なのです。

 言うまでもないことですが、international とは「国と国との間」と言う意味です。またdistance learningは、「遠距離を間に挟んで実施される授業」という意味です。

 では、国際遠隔教育は、いったいどのように、どのような学習を可能にするのでしょうか。それは、私たちの日常生活になにか有益な効果をもたらすのでしょうか。国内教育である遠隔教育と、国家間で行われる遠隔教育は、どこがどのように違うのでしょう。

 想定されるこれらの質問を念頭におきつつ、「国際遠隔教育」の分かりやすいイメージを、以下にご説明申し上げます。

新たな教育手法としての国際遠隔教育

 私共の国際遠隔教育は、インターネット接続をベースにしたスカイプ、もしくはウエッブ会議システムを使います。これらは、遠く離れた国際間での音声、および映像の、同時かつ双方向でのやり取りを可能にします。私共が採用しているのは、v-cube社のWeb会議システム一式です。この会議システムは、世界の主要地域をカバーする、v-cube社が開発した独自の通信センターを経由して相手とつながるようにできているため、伝えられる画像、音声は、スカイプに比べてずっとクリアーです。また、日ごとに変わる暗証番号を介して会議に入るため、セキュリティーも万全です。

 では、このシステムを使った場合、国際遠隔授業は、実際にどのように授業として成立するのでしょうか。

 国際遠隔授業は、基本的に、海外の授業(=講義)を一コマ単位で購入し、それを国内の誰かに、即時転売することで成立します。つまり、その授業は間髪を入れず、特定の受講者に消費(=学習)されなければなりません。私たちは、ヴィデオ等で特定の授業を録画・編集し、CDなどの学習教材として販売するのではありません。

 私たちは、授業という一個の「生きた商品(講義)」を、リアルタイムで顧客に「消費(享受)」していただき、後から「代金(授業料)」を支払っていただくことを基本スタイルとしています。

私たちの手法は、授業の外形的な姿やコンテントにこだわるのはもちろんですが、何よりも、生きた授業の肌感覚、その鮮度を、重視します。教えるものと学ぶものとが、テーマや話題、そして教材を共有しつつ、学ぶ人への思いやりと、教える人への尊敬の中で、一期一会的に成立する、学びの深さに何よりも高い価値を見出すのです。

鮮度とキレ ~ 「対面授業」と同じ効果を目指す

greeting011.jpg そして、これは、通常では、対面型の授業によってのみ可能になる学習効果です。

 ではなぜ、デジタル機器を駆使するヴァーチャルな授業に、対面授業と同等の教育効果が期待できるのか、その根拠は何でしょう。

 根拠の一つは、授業者の「顔」やパワーポイントの「資料」を写す巨大なスクリーンです。国際遠隔授業では、黒板の代りに、教室正面に白いスクリーンを用意します。授業と同時に、授業者の顔が大きくそこに映し出されます。その顔は微笑み、親しく挨拶してきます。授業開始の合図です。

 次に、二つ目の根拠は、授業者の「声」です。それはスピーカーを通じて、肉声よりも力強く、かつクリアーに語りかけます。

 根拠の三つめは、パワーポイントの使用です。授業者が授業を開始すると、授業のタイトルが大きくスクリーンに表示され、やがて始まる説明の音声と並行して、受講者にとって、興味深い写真、絵画、図表などが、相次いでスクリーンに映し出され、その間、授業者の顔は、スクリーンの中央から引いて、片隅に小さく表示されます。

 一方、受講者たちの顔や姿は、教室前方に設置されたカメラを通じて、教授者のパソコンにフルスケールで表示されます。教授者はこうして、講義の間中、受講者たちの反応を観察できるのです。また、専用マイクが教室にも設置されているので、双方で何か確かめたいこと、聞きたいことがあれば、互いに相手に伝えることが出来ます。また、通訳が必要であれば、同じ機器を通じて授業を言語的にサポートすることも可能です。

 授業が一通り終われば、画面が切り替わって、お互いに顔をスリーン一杯に確認しながら、質疑応答を含めて、和気あいあいと交流を楽しむことが出来ます。

親密な空間の演出 ~ 「対面授業」の深度に迫る

 私たちは、つい解像度にこだわり、機械の性能に気を取られがちですが、現実の国際遠隔教育に接するとき、それよりもはるかに大事なことに気づきます。それは、自分たちのすぐそばに相手がいることを、露ほども疑わない親密な空間こそが、真の教育を成り立たせる、という厳粛な事実です。

 例えば、テレビのニュースの断片性、その一方向性の限界は言うまでもないことですが、それだけでなく、テレビニュースの現地からの生中継において、こちらからの話かけに対して、現地のレポーターの答えが3 ~ 5秒ほど遅れるのは、いかにももどかしいことです。翻って、国際遠隔授業では、このようなタイムラグは皆無です。したがって、激しい意見のやり取りをしても、距離に起因する間延びは一切ありません。数千キロの距離の介在を感じさせないのです。

 それはまるで、陸や海や国境の壁をすべて取り除き、わずか数メートル四方の「水入らずの」空間を奇跡のように共有しているかのようです。このように、音声、映像の、いずれにもストレスを感じさせないがゆえに、国際遠隔授業は対面授業と同じ効果をもち、併せて、国内の授業ではあり得ない、異文化接触の生々しい授業効果が生まれる要因となっているのです。

ヴァーチャル留学 ~ 今の日本に必要な国際遠隔教育

greeting009.jpg 次に、国内の遠隔授業よりはるかに面倒な準備の要る国際遠隔授業が、ほかならぬ日本になぜ必要なのか、という点を考えてみましょう。

 国内の遠隔授業は、近年ようやくその取り組みが開始されました。過疎化に悩む山間地の小学校の児童たちが、都市の大きな学校の生徒たちと一緒に授業を受け始めています。確かな恩恵です。思い切って移住するか、それとも長距離通学に甘んじるか、苦しい二者択一を迫られていた過疎地の子供たちや父兄にとって、大きな朗報です。

 他方、国際遠隔教育に対する目に見える必要性は、これと言って具体的に何も存在しません。新聞もテレビも、その必要性をレポートしたことがありません。評論家もジャーナリストも政治家も、誰一人、その存在の可能性すら議論した形跡がありません。

 ただし、その必要性が、今現在、誰にも意識されていないということと、その必要性が、実はすでに存在しているということとは、必ずしも矛盾しません。

分かりやすく言えば、海外への留学の必要性は誰も否定しません。日本では、明治以前から、藩の若者がヨーロッパへ留学しました。彼らは、その後その知見を日本に持ち帰り、明治新政府の重要ポストでそれを生かしています。明治政府は、国費留学生を多数海外へ留学させると同時に、「お雇い外国人教師」を採用し、彼らに英語やドイツ語で授業をさせました。これが日本の近代化にしっかり貢献したことは誰にも否定できません。

 ところで、留学の必要性は現在も十分存在し、その希望者も一定数存在します。さらに、現在では多くの日本の企業は海外に進出し、海外に工場を持ち、また、貿易にかかわる商社も多数存在します。

 国際遠隔教育は、実は留学に優るとも劣らない効果を納めうる可能性を秘めています。それは、海外の選りすぐった講師の授業を、その鮮度を落とすことなく、リアルタイムで、日本の受講生に届けることが可能だからです。

初期投資、人材育成、各種団体との連携

 その必要性がないどころではありません。大いに必要だと言えないでしょうか。しかも、必要な内容をこちらで選んで、それを必要とする人たちに、言語サポートなど、必要なオプションを添えて、必要な日時や場所で受講していただくことが出来ます。加えて、留学費用も現地での滞在も不要です。しかも、日本の大学の授業と同じか、少しだけ高いくらいの値段で受講できるとしたらどうでしょう。勿論、それなりの設備や施設は、基本的に必要です。また、それらを使いこなす人材の養成も必要です。設備や施設がすでに充実していれば、それに越したことはありませんが、先ほどの説明でも明らかなように、教室とスクリーンとプロジェクターがあれば、それは可能なのです。大抵の教育機関や会社や最寄りの施設に、これらのものは備わっているはずです。

 ただ、この事業を拡大するには、多くの方々のご協力が必要です。そして、何よりも多くの方々に会ってお話させていただく必要があります。あらゆる教育機関はもとより、様々な企業や団体、行政機関との緊密な連携を模索することも必要だと考えております。

ご協力、ご提案のお願い

私たちは、一般のご要望に応えて、国際遠隔教育に関連する各種セミナー開催のお手伝いをさせていただきます。

ご一報いただければ、おひざ元にご説明に参上いたします。

私共の事業に興味を持たれた教育機関や企業、各種団体からの各種ご提案、ご意見、お問い合わせをお待ちしております。

代表 西澤康夫 プロフィール

1942年2月、兵庫県朝来市山東町に生まれる。

1960年4月、広島大学文学部英語英文学科入学。

1964年3月、同卒業。

1964年4月、広島大学大学院修士課程英語英文学専攻進学。

1966年3月、同終了。

1966年4月、広島大学付属中・高等学校勤務。

1968年3月、同退職。

1968年4月、広島大学大学院文学研究科博士課程英語英文学専攻入学。

1971年3月、同単位取得退学。

1971年4月~2002年3月、岐阜大学教育学部英語教育講座勤務。
講師、助教授を経て、1988年教授。

1986年10月~1987年7月、英国バーミンガム大学「シェイクスピア研究所」滞在。(文部省在外研究員)

1993年、『シェイクスピアの芸術』(近代文芸社)上梓。

2002年4月~2007年3月、岐阜大学教育学部生涯教育講座教授。

2002年4月、岐阜県と岐阜大学との共同研究事業に参画。
その中でワーキンググループの一員として、「国際ネットワーク大学コンソーシアム」への海外授業導入の使命を果たすべく、シドニー大学文学部との交渉に入り、授業交換システムの構築を図り、両学部間の交換授業科目の選定作業に従事。

2004年、モジュール交換システム構築の成功を受け、2004年3月、シドニー大学文学部と岐阜大学教育学部が学部間協定書を取り交わす。
その年、自身の担当科目「異文化コミュニケーション論」に、シドニー大学からの授業3コマを取り込み、3年間コンソーシアムに録画授業を提供。その後、国際遠隔教育の可能性をめぐって、内外の学術誌に共同で成果を発表。

また、大阪で開催された2009年度の国際的な教育学会、および2011年に西オーストラリア大学で開催されたデジタル教育をめぐる国際学会で一連の成果を口頭発表。